<9月20日追記 朝ドラ『らんまん』で関東大震災の回放送>【関東大震災から100年】特別な防災の日に揃えたい防災グッズ7選

関東大震災からの復興

出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)
後藤新平内務大臣
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」 (https://www.ndl.go.jp/portrait/)

『復旧』ではなく『復興』を目指す

関東大震災のときの首相、山本権兵衛は後藤新平内務大臣に、震災後の舵取りを任せます。
後藤は医師出身で、内務省衛生局長や満鉄総裁、鉄道員総裁、東京市長を務めた異色の政治家でした。

そんな後藤は震災から5日めにして、復興の舵取りのプランをまとめた「帝都復興の儀」を閣議に提出します。

その内容とは、震災前の姿への『復旧』ではなく、抜本的な都市改造を行う『復興』を目指すものでした。主なところでは、帝都復興のための独立機関(帝都復興院)を新設し、復興費用は国費とするなどです。

後藤の関東大震災復興計画は「後藤の大風呂敷」と揶揄されましたが、その中には後年やってくるであろう自動車時代を見越した50m幅の道路、区画整理、多数の公園、鉄筋コンクリートの橋梁なども含まれている先見性の高いものでもありました。

関東大震災が与えた影響

生まれ変わった首都東京

帝都復興計画が進められたことにより、東京の街並みは生まれ変わりました。

狭く入り組んでいた道路は、広く真っ直ぐな舗装道路に整備され、耐震耐火に優れた鉄筋コンクリート造のビルが次々に建てられていきます。

ドーナツ化現象は関東大震災が発端

関東大震災で地震や火災の怖さを経験した人々の中には、東京市・横浜市から東京府下や千葉県、埼玉県などの郊外に移り住むケースが起こりました。戦後の経済成長の中で何度か見られたドーナツ化現象が、天災を機に発生したのです。

隣県への移住からさらに進めて、大阪府や愛知県等に移住する者も見られたといいます。

特に1925年に近隣の郡部を編入した大阪市は東京市を超え、世界第6位の人口を擁する都市に躍進しました。

都市開発に新たな波を起こす

関東大震災により壊滅的な打撃を受けた東京市電が担ってきた機能の代替えを期待して、東京市はT型フォードを約800台輸入して、バス事業を開始します。

すると、全国にバス事業が広まるとともに、輸入トラックを利用した貨物輸送も始まって、旅客および物流におけるモータリゼーションの波が押し寄せることとなりました。

関東大震災まとめ

このように100年前の関東大震災の経験から、日本は多くの教訓を得たといえます。

身近なところでいうと、例えば、関東大震災前ではあまり意識されなかった「地震が起きたら机の下に隠れる」ことや、「建物や道路の耐震性を高める」ことが大切だと学んだのです。また、火災の防止にも力を入れ、都市計画を見直すことで、火事が広がりにくいような工夫もされていきました。

関東大震災は、日本の歴史における重要な出来事の一つです。多くの犠牲者が出たことから、日本は防災の重要性を強調し、地震や火事から身を守る方法を学びました。

関東大震災から100年が経った今も、私たちはその教訓を大切にし、安全な生活を送るために努力しています。この出来事は、日本の歴史の一部として、私たちに大切な教訓を残しています。


関東大震災について理解が深まりましたでしょうか。

100年の節目、特別な年の防災の日は、改めて心して未来への備えを進めていきたいですね。

そこで、次のページからは「【関東大震災から100年】特別な年に揃えたい防災グッズ7選」と題して、SNSでの口コミなどにも触れながら、厳選の防災グッズをご紹介したいと思います。