【公衆電話の日】災害時には臨時で設置されることも?公衆電話の歴史を振り返る
2023年9月11日最近すっかり見かけなくなった公衆電話。数年後にはさらに少なくなる…
今日、9月11日は「公衆電話の日」なのだそうです。
その由来は、語呂合わせなどではありません。
今から123年前の1900年(明治33年)9月11日に、新橋駅と上野駅の構内に日本初の「自動公衆電話」が設置されたからさそうです。
当時は交換手を呼び出し、お金を投入してつないでもらう仕組みで運用されていたのだとか。
NTTのX(旧Twitter)でも公衆電話の日に触れたツイートがされていました。
公衆電話は昔は順番待ちで並ぶものだった!?
公衆電話の時代を知らない人にとっては信じられない話かもしれませんが、携帯電話がない頃は、外出中に連絡を取りたい場合は、公衆電話を探して、順番待ちをして電話をかけていたのです。
そんなシーンを象徴するCMがNTTで制作されており、公衆電話の日に合わせてX(旧Twitter)にポストしたユーザがいました。
公衆電話の利用のマナーを啓発するCMのようですが、公衆電話の時代を知らない人にとっては、驚愕のシーンではないでしょうか。
数年後には現在の3分の1にまで減る予定
携帯電話やスマートフォンの普及で、令和の世の街中で公衆電話を見かけることがすっかり少なくなりました。
数年後には今の3分の1まで減ってしまうという記事も上がっていました。
「公衆電話」ますます見つけにくく 数年後には現在の3分の1に
ITmedia NEWS(9月11日参照)
記事によると、今から40年弱前の1984年が公衆電話設置台数のピークで、日本全国に93万4903台もあったといいます。
先述した通り、昨今は減少の一途をたどっており、記事によると、現在は災害発生時などの緊急連絡手段として、およそ10万9000台を維持しているそうですが、これが2031年度末までに約3万台まで減ることになるそうです。
災害時には大変ありがたい存在の公衆電話
一方で、地震や台風による大雨、土砂崩れ等による災害時には、復旧するまでの間、NTTが無料の臨時公衆電話を設置するそうで、有事の際は大変心強い存在でもあるのです。
このような事例もあるわけですから、公衆電話を減らし過ぎるのも大丈夫かなと思ってしまいますね。
公衆電話の色で振り返る公衆電話の歴史
公衆電話というと皆さんはどんな色を思い浮かべますか?
実は公衆電話は時代で発達を遂げており、簡単に言うならば新機能が付くごとに色が変えられていたのです。
ここからは、そんな懐かしい公衆電話の歴史を公衆電話の色別にリストアップ。その歴史を振り返ってみたいと思います。
赤電話
赤電話は「委託公衆電話」として扱われており、電電公社(現在のNTT)が駅や売店などに管理を委託していた電話のことをいいます。
どうりでタバコ屋さんなどの前に置いてあることが多かったわけです。
青電話
通常の公衆電話ですが、現在中高年に当たる私はあまり見覚えがないというのが正直なところです。
台座に固定されるようになり24時間利用可能となったそうです。
また、10円玉を直接入れられるようになった機種で、10枚まで入れられたのだとか。
黄色電話
1972年(昭和47年)に登場した黄色の公衆電話は、100円玉が利用できるようになった公衆電話機。
ダイヤルからプッシュボタンになった最初の公衆電話ともいわれています。
ピンク電話
1959年(昭和34年)に登場したピンク色の公衆電話は、どこかレトロな喫茶店などでたまに見かけることがあります。
このピンクの公衆電話は、飲食店などの店内に、店のオーナーなどが設置する公衆電話なのです。
公衆電話回線を利用せず、家にある当時の黒電話同様、一般加入者回線を利用してますので、このピンクの公衆電話には普通に電話番号もあるのです。
緑電話
1982年(昭和57年)登場の緑の公衆電話は、多くの人になじみがあるかと思います。今でも街中でたまに見かける公衆電話です。
大きな特徴は、テレホンカードが利用できるようになったこと。
テレホンカードが分からない若い人もいるかもしれません。
テレホンカードは500円券、1000円券などが一般的にはよく使われていた覚えがあります。
テレホンカードを先に購入して電話機に差し込めば、10円硬貨を使うことなく公衆電話が使えたのです。
グレーの公衆電話
1991年(平成3年)に登場した、当時は何やらデジタルなイメージを感じるグレーの公衆電話。
特徴は、ISDN端末を接続して通信が可能な電話機だったこと。
光通信の今となっては回線速度はめちゃめちゃ遅いですが、ノスタルジーに浸りたいのか、このグレーの公衆電話を使ってネット接続しているSNSユーザを見かけますね。